牛脂のもんだい

すき焼きを作るときに、牛脂を入れるご家庭も多いものかと存じます。
すき焼きも終盤になってくると、鍋の隅の方に牛脂の残骸があって、
「さあて、ぼちぼち麩でも食うか」
と思って箸でつまむと、牛脂だったり致します。そういったときも、騒がず、慌てず、つまんだ牛脂をそのまま白飯に載せて食べると、味の染み込んだ牛脂と白米のハーモニーが、肉で疲れた舌には、たいそう旨いものです。


さておき、わたくしごとではありますが、昨日ステーキを食しました。
「ステーキを食った」とは、実にブルジョワジーな字面ではありますが、実際には100gあたり97円の"オージービーフ(モモ肉)"なので、そこらへんの豚肉より安いものです。
安いのではありますが、精肉売り場で配っている国産和牛牛脂を使うと、それなりの味になり、安く楽しめてよいものです。


そこで、牛脂であります。
すき焼きの終盤に残った牛脂には、割り下の味が染みこんで旨かろう?
牛脂には肉の旨みが凝縮している。牛脂は肉であり、調味料であり、味の素であるのです。


ところがそんな牛脂を使って焼いたステーキでは、牛脂が途中で姿を消してしまうのです。
何故だ。何年か前にチーズはどこへ消えた?なんてな書籍が流行ったものだが、あんなもんは食ってしまったに違いないわけで、食っても無いのに牛脂は、どこへ消えたのだ?
すき焼きでは最後まで残る牛脂が、ステーキでは溶けてなくなってしまう。
サーロインではいつまでも残る脂身が、牛脂だといつの間にか消えて欠片も残らない。
何故だ?穿る。おれはあのギトギトした油が好きなのだよ。


世の右翼の方々は、北方領土を返還せよ、などと宣っておられるけれども、われわれ牛脂原理主義者からすると、牛脂を返還せよ、おー!。と声高に叫びたいほどである。街宣車シュプレヒコールを触れ回りたい。
われわれが通った後はぺんぺん草の一本も生えぬくらいに、道路を牛脂でどろどろにしたい。
国際結婚と揶揄されようと、オージービーフを国産牛脂で調理したい。
キメラと罵られようと、豚肉ですら牛脂で炒めたい。
肉の旨さは脂の旨さであろうに。嗚呼。牛脂はどこに消えたのであろうか。


まったく関係のない話だけれど、牛脂でステーキを焼いた後に炒飯をつくると、いつもと同じ作り方なのに、たいそう旨いよ。