亀のはなし

銭湯の前で自転車を止め、前かごに入れた入浴セットを取り出だし、少しサイズの大きなサンダルをぺたぺた鳴らして歩き出すと、暖簾の向こうから見知らぬ男性が出てきた。男性は私に「もう、風呂入ったか」と尋ねた。
私は、風呂場で何かあったのだろうかと想像する。たとえば、今日は祭日であるから、風呂場も大層混んでいる。であるからして、混雑の中、わざわざ疲れる思いをして貴君は風呂場に入らぬほうがよい。という紳士な警告を与えようとしているのだろうか。はたまた、血で血を洗う抗争がこの銭湯の中で繰り広げられ、さながら銭湯で戦闘という、書いてはみたものの、あまりの出来栄えに苦笑すらできない冗句を言いたいのだろうか、この紳士は。と思う。
ここは男性が一人であることから、もしや男性はこの後一人でどこかへ飲みに繰り出すのではないかとも考えられる。その際、話し相手として暇そうで、かつ、気の弱そうで話を断らなさそうな善人、つまり私のことをその話し相手に選ぼうとしているのではないかとも考えられる。冗談ではない。私はこれから風呂に入り、その後家に帰り、たんまりと笛を吹く計画があるのであって、見ず知らずの男性と杯を交わすことはないのである。であるからして、私は断固として、「まだ風呂に入っていない。今から入るのである」と主張するならば、その男性は音もなく巨大な海亀に化けた。
さて、その巨大な海亀がどの程度巨大かということを説明しよう。ウニモグという車をキミは知っているだろうか。遥けき国、ドイツからやってきたその車は、子供のおもちゃがそのまま巨大化したかのような、ある種のかわいらしさと、それでいて巨大さからくる威圧感があり、狭い日本、そんな車でどこ走る。と言いたくなるようなでかい車である。海亀はそんなウニモグと同程度の巨大さをしていた。口もでかく、磯のにおいとドブのにおいが交じり合った、世界人類共通が嫌うであろう異臭が発せられ、つい先ほど銭湯から出てきたとは思えぬ不潔さを感じさせた。おまけに唾液はぬらぬらしていて、夜道に垂れ下がる唾液は、遠目から見ると街頭の光を浴び、未練を残した人間が亀の口に吸い込まれているようでもある。
ちなみに何故私がその亀がアフリカリクガメではなく海亀であるかを判別できたかと言うと、それは私が海亀博士だからではなく、亀の甲羅にイソギンチャクが垂れ下がっていたからである。
イソギンチャクはふにゃりと垂れ下がってはいるものの、決して干からびてはおらず、それが亀が銭湯帰りであるということに、みょうな説得力を持たせていた。
亀は、大きな口をあけ、私に覆いかぶさろうとしてくる。

はたしてどうしたものか。このままでは亀に食われるな。
海亀というのは肉食なのだろうか。そういえばくらげと間違えてビニール袋を食べて死んだ海亀の写真と言うのを、幼いころにみたことがある。ああ、この幼いころの記憶が、走馬灯というやつなのだろうか。
そんなことを考えているうちに、亀の口はますます大きくなり、不快なにおいに包まれる。すると世界が真っ暗になる直前、足元に茶色い猫がいることに気づいた。