チョコレートの思い出

バレンタインということで、金曜日に会社の女の子から、煎餅をもらった。
「きっと義理チョコで口の中が甘くなるだろうから、しょっぱいものにした」という、バレンタインの定義を覆すかのようなチョイスで、煎餅をもらったのであるが、そもそも世の中の女子が思っているほど、世の男子はバレンタインにチョコレートをもらうものでは無いと思うのです。
せいぜい義理チョコを数個。彼女のいる殿方なら、プラス一個くらいが相場はなかろうかと想像するが、さて、この推計、いかがであろうか。皆様方は今年いくつのチョコレートを貰いましたか?
さて、結局バレンタインでは女子→男子間に流れるチョコレート量よりも、女子→女子間の流通量の方が格段に多いのではないか、というチョコの不均衡エントロピー仮説を提唱したいのだが、その話は長くなりそうなので、今日は私自身の、個人的なお話をいたします。
私は、ウイスキーボンボンが好きなのです。
砂糖ぐるみのウィスキーに、チョコレートをコートした、あの食べ物。
口の中で噛むと、砂糖の歯ざわりのあとに、口に広がるウィスキーの刺激が、チョコレートで緩んだ味覚を引き締めるわけです。
久しぶりに、あのウィスキーボンボンを食べたいな。と思い、近所のスーパーに行ったけれど、どこを探しても売っていない。仕方なくロッテの「バッカス」というコニャックを封じ込めたチョコレートを買って、食べたものの、あのボンボン独特の砂糖の歯ざわりがなく、物足りない。一体、ウィスキーボンボンは何処へ行ってしまったのだろうか。

 
 
いつだったか、祖父母の家に遊びに行った冬の日を思い出す。祖父母の家は中国山地の、一切の娯楽から見放された僻地にあり、数少ない娯楽であるテレビも、平日の昼間は若かりし藤田まことが出演しているような時代劇を惰性で放映している程度。
そんな山間の一軒家、コタツでぼんやりと時代劇の再放送を見ていたら、祖母がどこからか、ウィスキーボンボンの詰まった箱を持ち出してきて、コタツの上に置いた。
山間の一軒家、コタツの上にウィスキーボンボン。なんとも似つかわしくない取り合わせである。
「まぁ、これでも食べえ」
せっかく遠路はるばるやってきた孫が、コタツでアンニュイに時代劇を眺めているのを見かねたのだろうか。ウィスキーボンボンの箱を私に向ける。
祖母もウィスキーボンボンが何たるものか知っており、まだ小学校低学年の私に「あまり食べ過ぎないように」と注意し、自らも一粒、口に含む。
私も、銀紙を剥き、一粒を口に入れる。
砂糖の歯ざわりと、ウィスキーの刺激。
アンニュイな平日の昼下がり、口の中で転がしたウィスキーボンボンの空気は、どうでもいい毎日に転がっている、どうでも良い思い出なのかもしれないけれど、あれから十数年が経ち、「時間が経つにつれてきっと幸せになれる」と思っていたあの頃から、果たしてどのくらい幸せになれたのだろう。と自問自答し、結局あの頃から何も変わっていないな。という答えにたどり着く。
今年もまた「本命のチョコ」というバレンタインの幻に踊らされ、無用な落胆を味わった今日、あの日祖母から貰ったウィスキーボンボンが、今までで一番の、そしてこれからも滅多に超えることの無い、本物の本命チョコだったのではないか、と思うのである。