アウトプットについて

浅草(東京マラソン観戦)→湯島天神秋葉原→帰宅

何かを成さなければならないと思って、必死に本を読んで、町を歩き、飲み屋に顔を出しては色んな話を聞いている。
写真を撮り、楽器を吹き、日記を書いているけれど、インプットしたものが果たしてアウトプットにどれだけ影響を与えているのか、全く判断できない。
 
 
高校生の頃、教科書で読んだ土佐日記の真似をして、女性が書いたようなblogというのを、書いたことがある。
その当時読んでいた女性の書くblog記事の大抵が、たまたまオチが無く、読後「で、なに?」といいたくなるものが多かったため、オチの無い、つぶやきのようなスタイルの文章を書いていたが、裏返すと、男性の書くblog記事には、大抵オチがついているのではないかとも、思う。
そういえば、色んな本を読んだり、話をしたりした内容を、たまにblogに書こうと思うけれど、上手いオチがつけられないから、結局下書きで終わることが多い。
無理にオチをつけるのが、男性の特徴なのか、はたまた個人的な癖なのか分からないけれど、それはアウトプットの量を、自分で減らしているのではないかとも、思う。
どんなインプットが自分にとって良い影響を与えたのか、を判断するためにも、オチの有無にこだわるのではなく、とりあえず何か表現として残すのも、良いのではないかと思う。
上手くオチのついた表現が、ベストだとは思うけれど、オチのつけられなかったときに、何を考えていたのかを知るのも、何かの役に立つかもしれない。