一年早い

東京に来て、一年が経とうとしている。
東京勤務を命ぜられて、連休中に必要最小限の荷物をまとめて引っ越してきたのが、丁度一年前。一年経てば、槇原的にはずいぶん仲良くなって、キスしたって抱き合ったって、挨拶みたいに思うころのはずだけれど、まだまだ東京は分からないことだらけである。面白いものや場所が沢山あって、土日だけで東京を知り尽くすのは、一苦労である。
まだまだ行くところも、やることも、沢山あるのだけれど、最近は疲れてしまって、日曜日などは児玉清がテレビに出てくるまで布団の中でぐずぐずしていることもままあり、ここらで一度、初心に戻りたいと思う。昨年の日記を見返して見ると、昨年の連休は演劇を観覧に行っている。初心に戻る意味で、もう一度演劇を見に行って来た。昨年行ったのと同じく、せめてゴマドレッシングをかけてくれ。のひとがやっている劇団の演劇だ。
吉祥寺というところは初めて出かけたが、住みたい町ランキングで上位に食い込むという前評判に比べると、いくらかきな臭い土地であった。たとえば、観劇からの帰り道、黒服のお兄さんが「おっぱいパブ、もみ放題。おっぱいいかがすか」と語りかけていたが、あのひとは一日で何回おっぱいという言葉を口にしているのだろうか。もみ放題とは、なんとも力強い日本語ではあるが。閑話休題、そんなきな臭い場所で開催された演劇は、きな臭さとは程遠い家族を主題にした演劇でありながら、どことなくきな臭さの漂う演劇であり、決して「おっぱいもみ放題」などの科白は出てこないけれども、家族なのに家族でない、でもどこかで家族を感じさせる、崩壊した家族と、それを見つめる第三者の、支離滅裂な日常を描いた演劇であったが、そんな支離滅裂な崩壊劇の中にも、一定のリズムがあるような、そんな抽象的な言葉でしか表現できないけれども、面白い演劇であった。
あと、どことなくうちの家族に似てるな。と感じたのは内緒だ。うちの場合は、養っている猫が居なくなったら、あんな風に崩壊していきそうで、いまからハラハラしている。