思い出に浸りすぎんじゃねえよ。

鳥取プレイランドが、解体されているらしい。
かつて、鳥取の山奥に遊園地があって、その名も、鳥取プレイランドと言った。もう、10年以上も前につぶれてしまった遊園地だが、幼少期には、家族親戚と、何度も遊びに行ったことがある。閉園した遊園地であるが、遊具などは最近まで撤去されず、ネット上の廃墟めぐりサイト等に、登場する姿を見たことがある。その鳥取プレイランドの遊具類が、いよいよ解体されたのだという。
幼少期の、かすかな思い出でしかないけれども、山道をくねくねと進んだ先にある、鳥取プレイランドを思い出すにつれ、楽しかったあの頃のことを思い出す。

もう一つ、別の話題。
大分のホーバーフェリーが、いつの間にか廃止になっていた。大学生活も終局に差し掛かった頃、一人で九州に出かけたことを思い出す。どうしても、一度ホバークラフトという乗り物に乗りたくて、本来の目的地である熊本に直行せず、わざわざ大分で宿泊して、乗ったのだ。いつか、もう一度乗ってみたいと思っていたけれども、いつの間にか無くなっていた。ホーバーフェリー廃止なんてことは、東京に住んでいては、とても些細な話題だけれども、そんな話題すら、届けてくれるインターネットというのは、ありがたい存在だと思う。

思い出の本質とは何だろうか。例えば、鳥取プレイランドの思い出は、楽しかったという感情しか無いが、本当にそうだったのだろうか。もしかしたら、楽しくないことも、その中には入っていたのかもしれないけれど、そんな感情は、いつの間にか小さくなって、圧倒的に絶対的に楽しかったという、ただその記憶だけが思い出として残っているのかもしらない。
この思い出が、幼少期の頃の思い出だからそうなのだろうかとも考えたが、ほんの3年前の、ホーバーフェリーの思い出にしても、妙な興奮、と純粋な楽しさだけを強く覚えている。確かに、ホーバーフェリーから降りた直後は、「こんな船酔いする乗り物、二度と乗るものか」と憤っていたけれども、今から振り返れば、それも楽しい思い出だったと思う。

高校生の夏休み、勉強もせず、友達と遊ぶこともせず、ただ寝転がりながらラジオを聴いていた、あの無為な青春も、振り返れば、のどかで楽しかった思い出だと思う。
なんだかんだといって、これまでの人生、振り返ればそれなりに面白かったのだ。例え他人からとやかく言われようとも、その瞬間瞬間はつまらなくても、振り返れば、苦しいこと、辛いことは希釈され、楽しいことばかりが増幅されて見えるのかもしれないし、それが思い出なのかもしれない。

けれども、そんな過去の楽しかった思い出と比較して、今の生活が楽しくないと思ってしまうから、たちが悪い。今、こんなに楽しくないと思っている生活であってもあと5年もすれば、楽しかった思い出として立ち上がってくるに違いないのだから、今の苦しみに思い悩む時間が有れば、今からどんな楽しいことが出来るのか、を考えてた方が有意義であろう。
とりあえず、金のかからない部屋の模様替えをしようと思うよ!