新訳 津軽海峡冬景色

石川さゆりの名曲に、津軽海峡冬景色というのがあるだろう。
阿久悠の作るその詩は、恋に破れた女が冬空の津軽海峡を渡って北海道に帰っていくという、旅情的で情緒的な詩が印象的であるが、青森新幹線の開通を目前に控えた今日この頃、もはや青函連絡船などという言葉すら昭和の思い出として片付けられていくのである。
この名曲を再び活きづかせるために、時代に即した新たな解釈を加えてみてはどうか。これまでの恋に破れた女の詩、それも良い。けれども、別の解釈だって、あってもいいのでは無いか。

そんな暇人の叫びを聞いてください。新訳、津軽海峡冬景色。それでは張り切ってどうぞ!
 
 
都の東北にあるターミナルから、夜行列車に乗ったのは何時間前であったろうか。列車は吹雪の津軽平野をひた走り、まもなく青森に着こうかとしている。
 
この長い旅も、もうすぐ終わりである。
 
あの人とこの津軽海峡を渡ったのは、一体いつであったろうか。遠い昔のような気もするし、はたまた3日前だったような気もする。
青函トンネルが開通し、飛行機だって、寝台列車と大して変わらない料金で千歳まで飛んでいけるのに、なぜ私はわざわざ夜行列車に乗り、そして船で北海道に渡ることになったのだろうか。運命とは、あまりに偶然に満ち溢れている。
それにしても静かだ。吹雪の青森駅から、港へ向かう人々は少なく、そして皆、一様に黙り込んでいる。その光景が、旅の疲れを引き立たせる。
 
港に停泊している函館行きの船に乗り込み、出発までをデッキで待つ。冬空の下、波間に浮かぶかもめを見ていると、風が強くてコンタクトがずれ、涙でかもめがにじむ。ああ、もう津軽海峡なのだな。もうすぐ、この旅も終わる。
 
デッキから客室に戻り、船酔いに苦しむオヤジの横で、曇る窓ガラスをぬぐってみた。昨日まで居たあの土地は遠く、運命に翻弄されたこの長旅を改めて感じる。曇った窓から、竜飛岬がかすんで見える。
ああ、もうこの旅もおわりなのか。
 
  
  
「大泉君!あれが竜飛岬だよ!」
かましいヒゲのオヤジが、いまさらながら指をさす。
 
さようならみなさん。わたしはようやく北海道に帰ってきました!
ダイスの音が胸をゆする泣けとばかりに。ああ、サイコロ?〜津軽海峡冬景色〜(完)。
(BGM:1/6の夢旅人2002)